前回から引き続き「学習者の話し言葉コーパスを使った語用論分析」をテーマに、The NICT JLE Corpus[1] において、要求の表現がどう使われているかを習得段階別に見ていきます。
今回は、独立行政法人情報通信研究機構(NICT)が提供する Web ページから無料でダウンロードしたテキストファイルを使用します。
● The NICT JLE Corpus: https://alaginrc.nict.go.jp/nict_jle/ 今回の調査では、SST ステージ3のロールプレイのタスク部分のみに焦点を置きます。[2] このロールプレイには以下のようなトピックが用意されています。
● Shopping(お店に行って品物を買う) 受験者には、客、誘いを受ける友人、借主の役割が与えられ、試験官は、店員や駅員、誘う友人、家主の役割を果たします。また、上記のトピックには3つの異なる難易度(Beginner, Intermediate, Advanced)のタスクが用意されています。試験官は、ステージ1およびステージ2で把握した受験者の英語力を参考に、適切と思われる難易度のものを与えます。Shopping における Beginner および Intermediate のバージョンでは、自分が欲しい品物を購入することを目的としていますが、Advanced になると、お店に戻って既に購入済みの品物の返品・返金を交渉する内容になっています。 本調査では、Shopping のタスクに取り組んだ受験者である学習者と母語話者のデータを扱います。買い物における「要求」の表現が習得段階別にどのように異なるのか、発話者の選択したストラテジーやポライトネス(丁寧さ)の度合いの観点から調査していきます。ストラテジーやポライトネスについては以下の2節で説明します。
「要求」の表現にはどのような特徴があるか、先行研究に基づいて見ていきましょう。[3] 「要求」の表現は「呼びかけ(Alert)」「行為の主要部(Head Act)」「補足(Supportive Move)」という3つの部分に分けることができます。例えば、話し手が聞き手に “Excuse me, could you give me a lift to town?” (すみません。駅まで車で送ってもらえますか?)と要求したとします。この発話は以下のように「呼びかけ」と「行為の主要部」に分けることができます。
さらに、以下の “Could you clean up this mess? I'm having some friends over for dinner tonight.” (散らかした部屋をきれいに掃除してくれない? 今晩友達が夕飯にくるのだから。)のように、「行為の主要部」を「補足」で修飾することもできます。
上記の2つの行為の主要部にあるように、相手に要求をする時には、“could you” といった丁寧な表現を使って相手に頼むことが一般的でしょう。相手に要求をすることで、自分は利益を被る可能性がありますが、相手はその行為をするために自分の時間や手間を割かなくてはならないからです。このように、相手の行動に影響を与えるような発話を発話行為と呼びます。発話行為は常に相手のメンツを脅かす可能性をはらんでいます。[4] 発話行為には、この要求の他、「謝罪」、「苦情」、「反対意見の表明」などの種類があります。[5] どの種類の発話行為においても、“could you” の例のように、発話者はコミュニケーションにおけるあらゆる衝突の可能性を回避し、聞き手である相手のメンツを保つ努力をすることが一般的です。そのために、相手に敬意を示す表現や、自分の意図を和らげる表現を使います。このように会話の参加者がお互いのメンツを保って衝突を避けるよう言語的に配慮することをポライトネスと呼びます。[6] 本調査では、買い物のやりとりにおける「要求」の発話行為に着目します。先行研究では、以下のように、「要求」の行為の主要部がどの程度直接的であるかを、使用された言語表現によって3つに分類でき、話し手のポライトネスに対する意識を観察することができるとしています。
本調査では、買い物における要求の表現を抽出するため、2節のストラテジーの分類体系に基づいて行為の主要部を手作業で特定し、そこで使われる言語表現を分類しました。また、そこで特定した言語表現を基に、ポライトネスの度合いを分類しています。 調査にあたって、マドリード自治大学の Mick O'Donnell 氏が開発した UAM Corpus Tool (Version 2.8.14)[7] という無料のテキスト・アノテーションツールを使用しました。
● UAM Corpus Tool: http://www.wagsoft.com/CorpusTool/ 手作業でテキストに言語情報を付与する研究に適したツールで、語用論分析だけではなく、学習者コーパスにおけるエラータグ付与など、今や世界中の様々な研究者によって使われています。[8] 以下に、本調査でアノテーションしたテキストの例を紹介します。 UAM Corpus Tool では、はじめに自分でどのようなアノテーションを行うかというスキームを組み立てる必要があります。その後、分析対象のテキストファイルを取り込み、テキストのアノテーションしたい部分をマウスで選択します。上の図は、Intermediate の難易度のタスクでの試験官とのやりとりです。試験官の発話は <A> </A> で、受験者の発話は <B> </B> で囲まれています。受験者の発話を読み進め、「要求」の発話行為の機能を持つ表現を特定したら、その部分を選択し、ツール上に表示されるリストからその言語表現の特徴を選ぶと、上記のように緑と灰色でハイライトされます。“So <F>ur</F> <R unclearness="none">I'd like to</R> I'd like to buy <R unclearness="none">some</R> some blue shirt.”[9] (私は青いシャツが欲しいです。)には、“'d like (would like)” という要望を示す動詞が含まれています。この部分を「行為の主要部」(画面の左下の Assigned の “head-act”)として特定し、「直接的なストラテジー」(“direct”)で、「要望を示す動詞」(“desire”)として分類します。 また、以下は、返品・返金交渉が中心となる Advanced の難易度のタスクのやりとりです。受験者が、店に返品に来た理由を述べ、“So I want to change this shoes, please.” (だから私はこの靴を替えてほしいのです、お願いします。)と伝えていますが、こちらは、“want” を手掛かりに「行為の主要部」(“head-act”)を特定し、「直接的なストラテジー」(“direct”)の「要望を示す動詞」(“desire”)として分類しています。さらに、要求の際によく使われる表現であるリクエスト・マーカーの “please” もアノテーションしているため、緑線が二重になっています。
本調査では、前回の調査とは異なり、SST レベルを CEFR 相当レベル[10] に対応させて3つの習得段階(A1レベル、A2レベル、B1レベル)と母語話者のデータの4種類で使用分布を調査しています。[11] SST レベルを、CEFR 相当に対応させた理由は、レベルによってデータ数の偏りが出ないように、同じくらいのファイル数(受験者数)を集めるためです。そのため、データ数の少ないレベル1, 2および9は調査に含めていません。以下がアノテーションを施したファイルの詳細です。CEFR 相当レベルごとのファイル数がほぼ均一になるよう66〜67のファイルをコーパスから任意に選んでいます。また、20名の母語話者に SST を受験してもらったデータのうち、Shopping のタスクに取り組んだものにもアノテーションを施しました。[12]
以下は使用ファイルに含まれる延べ語数、異なり語数[13]、 ターン数(会話のやりとりの数)、ファイル数(受験者数)を表したものです。ターン数を見ると、A1からB1の一人あたりのターン数は平均しておよそ18〜21回、母語話者はおよそ20回であるということがわかります。一方、延べ語数および異なり語数は習得段階が上がるにつれて上昇しています。全体の発話量が増えただけではなく、使える語彙のバラエティーが増えているということを示しています。
以下のグラフは、各レベルの学習者と母語話者によるストラテジーのタイプの割合です。4節にもあるように、母語話者以外は、該当するファイル(受験者)数はほぼ同じですが、習得段階が上がるほど延べ語数は上昇しています。各レベルの割合を見ると、A1およびA2レベルでは慣例的なストラテジーより直接的なストラテジーが高く、B1レベルおよび母語話者では同じくらいであることがわかります。
本調査では、直接的なストラテジーで使われる言語表現を以下の6つに分類します。
具体的に、直接的なストラテジーで使われる言語表現の使用率を詳しく見ていきましょう。以下のグラフは、直接的および慣例的ストラテジーの両方を含む行為の主要部全体数に対する割合を示したものです。どの習得段階においても、要望を示す動詞が最も使用率が高いことがわかります。なお、A1では要望を示す動詞の次に、省略の表現の使用率が高いですが、A2レベルでは大幅に減少し、B1および母語話者ではほとんど出現していません。命令文の使用は、どのレベルにおいても15%に満たない割合となっています。 直接的なストラテジーの中で、最も使用率の高かったタイプの言語表現の内訳と使用例を紹介します。以下のグラフにあるように、A1およびA2レベルでは4つの言語表現のうち “want” の使用の割合が最も高いのに比べ、B1および母語話者では圧倒的に低くなります。一方で、“would like” は、A1レベルから出現し、B1および母語話者グループで使用頻度率が上昇傾向にあるのがわかります。
● “want”
次に、慣例的なストラテジーで使われる言語表現の使用分布を紹介します。
それでは、慣例的なストラテジーで使われる言語表現の使用頻度を見ていきます。以下のグラフからわかるように、どの習得段階でも、可能・許可の助動詞が最も使用率の高い言語表現のタイプになっています。 本ストラテジーで最もよく使われた可能・許可の助動詞の内訳と使用例を詳しく見ていきましょう。“can” がどの習得段階においても最も多く出現します。なお、B1レベルは、“can” と同じくらいの割合で “could” が使われています。
● “Can”
これまで直接的なストラテジーと慣例的なストラテジーで使われる言語表現を見てきましたが、この分類のどちらか一方が他方より丁寧であると言えるでしょうか? 以下のように同じストラテジーに属していても、丁寧さの度合いが異なります。
● 直接的なストラテジーの要望を示す動詞の “want” より “would like” を使った方がより丁寧と言える。 本調査ではこうした点を考慮し、発話者がどの程度聞き手に対し丁寧な表現を使っているかを把握するため、以下のように、使われた言語表現を基にポライトネスの度合いをアノテーションすることにしました。
以下のグラフは各レベルの学習者と母語話者によるポライトネスの度合いの割合の分布です。習得段階が上がるほどポライトネスの度合いが高くなるということが顕著に表れています。最もポライトネスの度合いが高い表現はB1レベルおよび母語話者のみに見られ、A1およびA2は最も低い度合いの表現が大半を占めています。 しかし、この結果に基づいて、A1およびA2の初級学習者は、要求する際にポライトネスを意識する段階に至っていないと安易に結論を出すのは早急かもしれません。A1およびA2の学習者は、Beginner および Intermediate のタスクを行っていますが、こちらのタスクでは、購入の意思を伝えることが求められます。一方で、B1の学習者の取り組んだ Advanced のタスクでは、購入後の返金・返品交渉が求められます。客が品物を購入することで店が利益を得るという前者の状況を考えると、学習者がより直接的なストラテジーを選択しても、後者に比べ、店員に対して失礼にあたらないかもしれません。一方、後者は客が通常認められないような例外的な要求をする状況であり、店が不利益を被る可能性があるため、学習者が要求の強制度を和らげようとより間接的なストラテジーを選ぶ傾向が高まった可能性もあります。さらに、母語話者は難易度別の3種のタスクを全て行っています。つまり、習得レベルによって取り組むタスクの内容が違うので、タスクの種類により必要とされるポライトネスの度合いが異なる可能性があるのです。
今回の記事では、前回の談話標識の調査で生じた難点(表層的に抽出した言語項目が談話標識の機能を持っているのかを目視で判別する必要があること、談話標識の分類が多岐にわたること、分類が主観的になる可能性があること)を踏まえ、抽出した言語項目を手掛かりにコーパス分析するのではなく、買い物のやりとりにおける「要求をする」という状況を特定し、そこで使われる言語表現を確認しました。つまり、前回は「文脈に依存しない表層(form)的な検証」を行いましたが、今回は「文脈に依存する言語機能(function)的な検証」を行いました。 コーパスデータから要求の機能を持つ言語表現を特定し、ストラテジーのタイプに分類したところ、学習者の習得段階が低いほど直接的なストラテジーの割合が高く、レベルが上がるほど慣例的なストラテジーの割合が増えていくことがわかりました。さらに、ポライトネスの度合いを習得段階別にアノテーションしたところ、レベルが上がるほどポライトネスの度合いが高くなる傾向が顕著に表れました。 しかし、本調査においても以下のような課題点は残ります。
1. 習得段階によって取り組むタスクの内容が異なるため、学習者が選択するストラテジーやポライトネスに対する意識に何らかのタスクの影響がある可能性がある。 2回にわたり、学習者の話し言葉に見られる語用論的能力を2つの異なる手法で調査した結果を紹介しました。文脈に依存した分析が避けては通れない語用論的分析においては、「談話標識」の表層的な検証より、「要求の表現」の言語機能的な検証の方が、言語表現の運用の実態をより正確に示していると言えるでしょう。英語教員にとって、社会的に適切な発話を実現できるコミュニケーション能力を学習者に習得させることは日々の重要な課題です。今回の調査により、習得段階が上がるほどポライトネスの度合いが高まっていく傾向が確認できましたが、ある意味読者の方にとっても予想通りの結果だったかもしれません。しかし、こうした学習者や教師の直感を、客観的な分析結果で確認できるという点で、学習者コーパスを使って語用論的能力を検証することにも意義があると思われます。今後、コーパスを使った中間語用論の分野では、今回の調査で実施した「語用言語学的能力(Pragmalinguistic Competence)」だけではなく、「社会語用論的能力(Sociopragmatic Competence)」[14] をどのように調査していくのが大きな課題となることでしょう。
〈参考文献〉 和泉絵美・内元清貴・井佐原均(編著)(2004)『日本人1200人の英語スピーキングコーパス』アルク。 金子恵美子・和泉絵美(2012年9月)『NICT JLE Corpus の CEFR レベル再分類(中間報告)』科学研究費 基盤研究(A)「学習者コーパスによる英語 CEFR レベル基準特性の特定と活用に関する総合的研究」(課題番号: 24242017, 代表: 投野由紀夫)公開会議資料。 Blum-Kulka, S., J. House, and G. Kasper (1989) Cross-cultural pragmatics: Requests and apologies. Norwood, NJ: Ablex. Brown, P., and S.C. Levinson (1987) Politeness: Some universals in language usage. Cambridge: Cambridge University Press. Leech, G. (1983) Principles of Pragmatics. New York: Longman. Leech, G. (2014) The Pragmatics of Politeness. New York: Oxford University Press.
〈注〉 [1] 本コーパスの詳細は、第18回の「学習者の話し言葉コーパスを使った語用論分析: (1) 談話標識 well, I mean, kind of, like の使い方」をご覧ください。 [2] ロールプレイで話された内容に関して試験官が受験者に質問し、簡単な雑談をするタスク後のフォローアップ部分は除いています。 [3] 本調査では、Blum-Kulka, House & Kasper(1989)に基づいて「要求」の表現を特定することにしました。 [4] 語用論では相手のメンツを脅かす行為という意味で Face Threatening Act と呼びます。 [5] 他に「称賛」や「お礼」なども含まれます。 [6] Brown & Levinson(1987)や Leech(1983)などによって理論が提唱されています。
[7]
2014年9月に Version 3.1 がリリースされました。20言語に品詞タグを自動的に付与できるオプションが付いています。
[8]
本ツールが最も便利な理由としては、オリジナルのデータに直接タグを埋め込むのではなく、別ファイルにタグ情報を持つため、一つの言語情報に異なるタグを多層的に付与することが可能なことです。本ツールは、慣れるまでは少し時間がかかりますが、日本語のマニュアルも Web ページで紹介されていますので詳細はこちらをご覧ください。 [9] 本調査では筆者が研究で使用している XML ファイル形式のデータを使っているため、一部のタグがオリジナルのテキストファイルとは違うものになっています。 [10] CEFR とは、Common European Framework of Reference for Languages(ヨーロッパ言語共通参照枠)の略称で、A1, A2, B1, B2, C1, C2の合計6段階レベルに分かれた外国語能力の参照基準で、世界中で幅広く導入されています。現在日本でも出版される英語教材に CEFR レベルが明記されることも一般的になっています。A1およびA2レベルが最も習熟度が低く「Basic User(基礎段階の言語使用者)」とされ、次にB1およびB2レベル「Independent User(自立した言語使用者)」、そしてC1およびC2レベルが「Proficient User(熟達した言語使用者)」とされています。 [11] Standard Speaking Test(SST)は、American Council on the Teaching of Foreign Languages(ACTFL)が開発した Oral Proficiency Interview(OPI)を基にしているため、そのまま CEFR レベルに対応させるのは難しいかもしれませんが、金子・和泉(2012)を参考にしました。 [12] 学習者は一人につき一種類のタスクが与えられていますが、母語話者は一人につき複数のタスクが与えられています。 [13] 延べ語数中に異なる語がいくつあるか数えた数値。 [14] 「Pragmalinguistic Competence(語用言語学的能力)」と「Sociopragmatic Competence(社会語用論的能力)」は Leech(2014)が詳しく扱っています。
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