He was, like, really mad. 彼は, その, かんかんに怒っていましたよ (『新英和中辞典』)
欧文で,単語のつづりの途中で改行する際,つづりを行末で分けること。また,その分け方。ハイフネーション。(「ハイフネーション」は『広辞苑』にあるが『大辞林』にはない。『広辞苑』でも、2008年の第6版から立項された。)
A syllable is a segment of a spoken word that a native speaker of a language perceives as representing one rhythmic beat.rhythmic beat とは、cat に一つ、happy に二つ、computer に三つ付けるような「拍子」のこと。 sudden の発音には一つの母音しかないが、英語のネイティブなら必ず二拍子を付けると思う。母語話者の直観に頼る定義は母語話者以外の人にとっては役に立たないが、私はもっと適切な定義を思い付かない。
The Practice of Typography (1910)figurine(小立像)という単語を行末で分ける必要があったら、一部の辞書では figu-rine または fig-urine と分綴してもいいと書いてあるが、 g と u の間で分綴すると、urine が文頭になってしまうから必ず figu-rine で分けるようにと、大学院生のときに読んだ本に書いてあったと覚えている。その後、校正しているゲラで figurine が行末で分けられているケースをずっと探してきたが、まだこのルールを適用する機会には恵まれない。現在、言葉を分綴しないウェブのために書くことも多くなって、一生そのチャンスに巡り会わないかも知れない。
Dictionary of Typography and Its Accessory Arts (1875)
Proofreading and Punctuation (1907)
先日、電車で通勤している間に聞いていた米国の公益ラジオ放送 National Public Radio のニュース番組で、次のようなことを聞いた。
Several Kenyan companies have been bought by the Chinese, raising concerns about a loss of local control.
自分の怪しい記憶に頼っているので忠実な引用ではないが、 the Chinese が会社を買ったという報道を聞いたら、約20年前、日本のバブル期に海外の英語ニュースで the Japanese が多用されたことを思い出す。the Japanese が「先ほど言及した日本人たち」でも「日本政府」や「日本の代表チーム」でもなく「日本人全員」を指すように聞こえる文脈であった。米国や欧州の会社が一人の日本人投資者に買収された場合でも、その人は the Japanese と呼ばれたのだった。今でも、ニュースサイトで検索したら同じような用例が見つかる。
Today, America joins with Russia and the European countries to enjoy Daylight Saving Time. A couple of South American countries go along, but all of Africa and Asia pretty much ignore it. The Japanese don't care one way or the other. (リンク)
ということは、生まれたばかりの赤ん坊でも、高校生でも、年配のタクシー運転手でも、日本人ならサマータイム導入についてどうでもいいと思っているのだ。
この使い方の変なところは、次の引用に見える。出典は米国ニューヨーク州の新聞。
Just as Americans might think of a sea of people on bicycles when imagining life in China, the Chinese have an image of our transportation that symbolizes something unique about us: the yellow school bus. (リンク)
すなわち、中国についてのイメージは一部の米国人(Americans)が持つのに対して、対応する米国についてのイメージは、中国人全員(the Chinese)が持つのだ。
念のために言っておくが、これは米国人に東洋人がみな同じに見えるなど、人種差別的な現象ではない。米国の新聞などでは the Americans が「米国人全員」の意味でほとんど使われないのは確かだが、the British や the Europeans はよく使う。そして、英国や豪州のメディアではやはり the Americans をよく使う。例えば、
If ever there was a time to realise that the Americans don't always do things better, it is now and I was reminded of this again recently when I happened to receive an invitation to attend a 'Greener by Design' Conference in San Francisco for some time in May. (リンク)
他国の人々について the を使うのに自国民については使わないというのは、自分に近い人たちには個人差が見えるから一般化できないとわかるが、外国の人たちについては個人差を考えていないために平気でステレオタイプを思い浮かべてしまうことを意味する。
the は奥が深い。
ブログのタイトルについて説明する。
ブラウザーを使ってインターネット上で閲覧できるページが Web と呼ばれるのはよく知られている。この名称はもちろん、蜘蛛の巣のように各ウェブページが複雑に繋がり合っていることに由来する。もう少し専門的な表現としては、Google や Yahoo などの検索サイトが使っているものだが、ウェブ上のデータを探して索引を作るソフトの名前がある。それは spider. そして、今まで各自のパソコンに保存していたデータをインターネット上に保存することも可能になった。その保存場所は the cloud と呼ばれる。その「雲」に保存されている言葉を「蜘蛛」のように網でつかまえようとするのがこの連載の目的の一つなので、タイトルを「ことばのくも」にした。