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私の語学スタイル

第 3 回
「言葉にならなくても、伝えなければいけないもの」

003

Style1
イエメン VS 日本

 10 年間のサラリーマン生活を捨て、世界放浪の旅に出た須田誠さん。旅の途中でカメラとの運命的な出会いを果たし、世界各地で撮り歩いた写真が、2007 年にフォトブック『NO TRAVEL, NO LIFE』として出版されている。
 今でこそ世界中を旅している須田さんだが、初めての海外旅行は 25 歳のときだった。行先はアメリカ。そのときに訪れ、魅了されたニューヨークを須田さんは「原点」と語る。
 当時音楽系の出版社で働いていた須田さんは、初めて訪れて以来、休みのたびニューヨークに足を運ぶようになった。もともとミュージシャン志望だったこともあり、ニューヨークの音楽シーンに「はまった」そうだ。そのうち、思う存分休みを取れない状況に不満が募り、28 歳のときに思い切って退職。短期留学という形で渡米を決意した。
 「最初の 3 週間はもう頭がおかしくなりそうで。一応日本で英語を勉強して行ったから、そこそこしゃべれるかなと思ってたんだけど、実際行ってみたら全然通じなくて。最初アパート借りるのに不動産屋とかに電話するんだけど、相手が返してくる言葉が分からなくて、いっつもそこで電話切られちゃう。それを毎日くりかえして、すごい苦しかったね」
 「それからすぐに行き始めた英語学校は、今まで行ってきた『学校』というもののなかで、いちばん面白かった。すごい新鮮だったね。28 歳で学校に行くっていうのがなにしろ新鮮。やっぱりクラスに色んな人種がいるし、今まで体験したことのないカルチャーショックがあった。まずクラス分けのテストを受けたんだけど、日本で少し勉強してたし、ちょっと自信あったのね。そしたらいちばん下のクラスになっちゃって(笑)。そこにイエメン人がいて、彼の英語ってすごい巻き舌で、全然聞き取れなかったんだけど、彼に、『お前の日本語なまりの英語わかんねーよ』って言われて、『えーっ、お前に言われる筋合いないだろ』みたいな(笑)。そういうクラスだったから皆めちゃくちゃなのね。だけど、ひとたびディスカッションの授業でテロの話とかになると、皆一気に盛り上がって、各国なまりのむちゃくちゃな英語でワーっと言う。で、喧嘩が始まっちゃったりするんだよね。でも俺達日本人って、特に当時はそうだったんだろうけど、そういう意識が全然ないからディスカッションに加われない。単なる英語のクラスなんだけど、自分を主張するっていうのはそこで覚えた」
 3 か月の予定だった滞在も、気づけば 2 年に。その間にメッセンジャーの仕事をしたり、アメリカ一周の旅をしたりした。ひたすら貧乏ではあったが、それまでにない自由を手に、水を得た魚のような気分だったそうだ。初めてのことだらけの、ニューヨークでの生活。確実に、須田さんを変えた 2 年間だった。

Style2
カメラと人の間に、目には見えないなにかがある

 ニューヨークから帰国後、レコード会社のディレクター職に就いた。仕事は忙しく、充実感もあった。しかしバブルが崩壊、仕事内容も変わり「潮時」を感じ、職を去った。そして、放浪の旅に出ることとなった。なにが自分を旅へと駆り立てたのかはどうしても思い出せない。「旅に呼ばれたとしか言いようがない」そうだ。
 そうして出かけた旅先で出会ったのがカメラだった。トランジットのために偶然立ち寄ったシンガポールで、安く売られていたものだ。「必然の出会い」だった。
 当時カメラに関する知識は皆無だった。旅人たちに使い方を教わりながら、世界中で写真を撮り歩いた。初のフォトブック『NO TRAVEL, NO LIFE』に収録されている写真は、人物が中心だ。
 「旅でいちばん重要なのは出会い。それは人でもあり、物でもあり、風景でもあるんだけど、その出会いの中でいちばん面白いのはやっぱり人だからね」
 須田さんの写真は、見る者に語りかけてくる。最高の笑顔だったり、哀愁ただよう横顔だったり、こんな表情はどうやったら引き出せるのだろう。「たとえば一か所に長く滞在しているときは、すぐには撮らないで、子供だったら 3 日ぐらい遊んでから撮ったりする。あと、前から人が来て『あっ撮りたい』と思うと、あうんの呼吸で向こうの人もわかるみたいで。ほとんどの場合、相手は英語も日本語もわかんないし、こっちも現地の言葉はわからない。だからカメラをみせて指さすと、相手も『うん』って頷いてくれる。そういう言葉では説明できないものがすごくたくさんあるんだよね。写真を撮るときはコミュニケーションがいちばん大事だと思うんだけど、その『あっ』てなる瞬間にコミュニケーションみたいなものがあると思う。写真ってほんとにただの紙っぺらなんだけど、人と写真の間に見えないなにかがあるわけじゃない。それがほんとに大事なもの」
 直感を大切にする須田さんは、旅の写真もなにかを感じた人は撮るし、感じない人はまったく撮らない。その決め手は一体なんなのだろう。「たとえばネパールの、ヒマラヤの市場で会ったおじさんがいたんだけど、そのおじさんはチベットのほうから山を越えて、荷物を持ってきてそこで売っていたのね。で、実際会ったらもう、すっごいパワーを出してるのね。うわあ、ヒマラヤ越えてきたんだ! っていう」
 「その国によって違うけど、経済的に大変な国の人たちって、なにかしらの苦労がすごくある。そういうのが顔のしわとかに表れてたりするから、興味深い。撮った人について、一人ひとり話していったら、切りないけど・・・・・・」須田さんは、それぞれの写真にまつわる思い出を、すらすらと話してくれた。驚くことに、写真の人物はほぼすべて覚えているのだそうだ。旅の写真は 1 万カットにものぼるというのに。
 「それは最大の楽しみだよね。誰にもその(写真の思い出である)周りの部分っていうのは楽しめない。撮った本人だけが知ってる楽しみだよね。だから自分の撮った写真は、ほんと財産。年とって、死にそうなときにも楽しめるわけじゃん。それこそ写真見返してさ(笑)。だからカメラとかは盗まれちゃってもいいけど、写真だけは盗まれたくない」

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